七月二十四日 (日記)

或る人がおれに対して投げたたぶん不適切な問いかけがある。たぶん不適切。その人はこう言ったのだ。あなたは何のために生きていますか。十五年以上、十五、六年は以前のことなのに今でもよく憶えている。

その問いかけに対するその人自身の答えは至極簡単明瞭なものだっただろう。自ら好んで進んで僕(しもべ)となった人だったから。神に仕える仕事をしていた。

だがその時おれがほぼ即答して放った言葉も至って簡明なものだったと記憶している。こう言った。

死ぬためですよ。後悔のない死にざまをしてみせるため。然して深くは考えずに言い放ったことではあったが、いま改めて見当してみても全然的外れな返答などではなかったなと思う。

しかし勿論、人間が生きることに敢えて理由づけをする必要などない。実際何の目的も持たずにただその日その日を消化しながら過ごしている空っぽなような人でも、死と相対すれば生きたいと切に願うことだろう。少なくともそういう場合のほうが多いことだろう。

あなたは何のために生きていますか。何と答えるだろう、今のおれなら。

たぶんより抽象的な返答になる。なりそうだ。浮かぶのはこんな思いと言葉。

自己を全うするため。自分の行き着けるところまで行くため。

方向性は大まかには分かっている。幼いころには飽きることなく毎日毎日絵を描いていた。映画に傾倒した十代のころには、十代特有の自意識過剰から周囲には内緒にしながらも何作もの脚本執筆に取り組んでいた。二十代のころは酒と女に耽溺していた。しかし抑えがたい意欲と何か衝動的なものがつねにあって、やはり秘かに沢山の文章をしたためていた。

表現・創作へと向かうのはおれにとってはごく自然なごく当たり前なことである。本能のようなもの、持って生まれた習性のようなもの。

しかし勿論、おれは自分の最後に行き着く場所・地点までは知らない。

何のため?    あなたが今もこれからも生きてあるのは何のため。だがそれよりもっと大切なのは、自分の一日一日を疎かにはしないことだろう。そう思う。そう……

 

七月下旬、好天。戸外は確実に漲ったような暑さだろう。退院日が近づいている。この窓から鉄塔は見えない。

 

 

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                                                    (澁澤政裕)

 

タイトル通りつい最近書いたもの。

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