ここに流れる時間には独特の緩慢さがある。前回入院した時もそうだった。退屈はしていない。しかし時の経つのが何やら遅い。今回入院したのはいつのことだったか? 八月二十六日。そうして今日は九月四日だ。わずか九日。しかし入院した日のことがもう少し以前のことに、少なくとも二週間は以前のことに思える。時の流れが緩慢で、従って一日一日の重量が幾分重め。良いことだろう、たぶんだけれど。酒など飲んでいるとこうはいかない。殊に一人で飲んでいると時間はたちどころに過ぎ去る。誰に対しても気を使わずに飲む酒。それだから一人で飲むのは愉快だということにもなるのだけれど、しかし人生は有限である。延々と一人ちびちびやることを〝行動〟と見なすのはいささかというか明らかに無理がある。例えそのあいだに様々な考えごとをし、自分にとって無為とは決して見なし得ない時間を過ごしているとしてもだ。再入院は厄介きわまる諸々の事情のため(三十過ぎてから統合失調症に罹患したが、それが今回悪化した背景には現実の悪質執拗なストーカー被害がある)、しかしここで過ごした時間には、負の側面ばかりではない豊かなものが確かにあった。そのことは以前公開した幾つかの随筆にも書いた通り。少し迷いが生じている。もしかしたら、もう少しここで過ごしていたいのかもしれない。夜明け。おれはここでは、夜明けのような明るみを見る。そして緩慢に流れる時間の中で、自らと対話し、自らを聴き、自分自身を再びそこに見いだし、また他者と出会い対話して、いずれ何らかのかたちで実りともなる一箇の季節を過ごしている。十代をこの街で過ごした。好きな場所は今ではここだけだ。
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「靴紐がほどけてる」
「知ってる。何日か前からこうだよ」
「結ばないの?」
「さあ。気にしたことがない」
「結びなよ。気になる」
「別に気にならないよ」
「私のほうが気になるの」
「分かった。結ぶよ」
「よし」
そして時間は更けていった。
「待っている。でも、何を?」
「知らない。靴紐がほどけてる。また」
「結ぶよ」
「秋」
「え?」
「あなたが待っているもの。秋」
「かもね…… 分からないよ」
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すでに九月。二〇二四年、今年の夏の大半をこの病院で過ごした。名残惜しい、確かに。意義のある夏だったのだろう。
(澁澤政裕)
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