母の出ていく前、母と実家の階段で交わしたやり取りを反芻していた。母はこんなことを言ったと思う。私に死んでほしいのかと。勿論おれはそんなことなどそれまでにひと言も言ってはいない。だが、母のことは分かっていたからこう応じたのだ。いつ死んでくれんの。母は言った。それがお前の望みなのかと。だからおれはもう一度言ったのだ。いつ死んでくれんの。母はもう一度言った。それがお前の望みなのかと。そしておれももう一度言った。いつ死んでくれんの。
分かっている。母のような人間、あの手合い、あの類の人間は醜いまでに図々しいのだ。卑しくて、ちっぽけで、罪悪感を最初から決して抱くことのない人間。卑怯卑劣で陰湿陰険で、自分よりよほど上等な人間を平気で騙し続けながら、醜いまでに図々しく生きながらえている。分かっているのだ。あの人が自ら首を括ることなど絶対にあり得ないのだと。すでに諦め過ぎて期待のかけらもないけれど、何か哀しく思うのだ。もし仮に? もし仮に母が本当に死んでくれたなら。涙の一つも流してやるのに。
父も姉もあの人の被害者だ。二人は二人ともにお人好しでそのことに気がつきもしていない。今回だけではない。今回だけのはずがない。どんな家にも歴史があるだろう。この家族のそれは見かけよりよほど陰惨なものだろう。
やはりどうしても考える。母が本当に死んでくれたなら。
(澁澤政裕)
前記事の通り、母は昨夜再び逃亡しました。
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