七月五日 (日記)

尿意のためにいつも夜中に眼を覚ます。

これも公共設備の男子トイレへ向かう時おれの意識と足取りはまだ半分以上眼覚めてはいない。だが起きている。半分以上眠りから抜け出せずむしろそれにまとわり付かれて大変だけどおれはちゃんとトイレでしたかったことをこなすのだ。そうして部屋に戻った時には起きている。

幸福感に近いなにか充たされたものがある。尿意が解消されたためだろうか?    違うと思う。

精神病院の夜、というと何となく不気味な陰気なものが浮かぶ人が多いことだろう。実際はただ静謐である。

静かで少し冷たくて廊下には誰もいなくて、敢えて自分の殻を守る必要がない。日中とは違うずっと孤独な肌触り。おれは自由を少し感じる。独りの時が最も自由だ。

日中、デイルームと呼ばれる広間では常時テレビが点けられていてひどく萎えるし、廊下には平穏無事な日常のなにか色褪せた感じが漂う。

さっさとここを立ち去りたいものだと思う。外の世界も似たようなものだとは分かっている。

夜、……それもみなの寝静まった夜中ばかりが快いので、自分のことを暗いのだなと思う。自分は暗いのだな。

そんな自分を厭わない。

本を読んだり文章をしたためたりしながらまた眠たくなるまで過ごしている。

夜の懐の中、時計の針は気にしない。

 

 

                                                      (澁澤政裕)

タイトル通り、先月始めごろに書いたもの。その時はこんなことを思っていたんだなと思う。今はあの病棟で出会った人たちが懐かしい。

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