〝座標〟 (短編脚本・第一稿)

●    その街の点景(日中)

日中なのにその街の各所にはただの一つも人影がない。幾つもの街路、公園、駅前広場、橋。幾つもの無人の光景がある。

そして一本の緑の木。

みずみずしく繁茂して盛んな時を迎えて映る。

 

 

●    一室(同)

そこは恐らくマンションの四階か五階の一室。それというのも、そこの窓からはあの木を見下ろすかたちであの木が見られるからだ。そしてその窓から咲(さき)がそれを見ている。

呟くように言う。

 

咲「夏だよね…… こんなに涼しいのに」

 

この部屋のソファの前にテレビはない。そこにあるのは白々とした壁だけである。

男は壁を見ている、ソファに浅く掛け、幾分前屈みの姿勢で。もの静かな感じの中年男だ。壁を見ている。

咲が窓から振り返る。

 

咲「何を見ているの」

男「壁だよ。静かなものだ」

咲「二人きりだね」

男「それを君が望んだから」

 

咲は首を傾げるような横に振るような曖昧な仕草をする。

 

咲「異常気象のせいよ」

 

男は黙って首を横に振る。

咲は微笑する、どこか悪戯っぽく黒い大きな瞳を輝かせて。

 

 

●    街の点景(同)

日中なのにただの一つも人影がない。幾つもの街路、公園、駅前広場、橋。幾つもの無人の光景。

 

 

●    一室(同)

咲「望みはしたかもね…… だけど祈りはしなかった」

 

そして男にもたれ掛かるようにして男の隣に掛ける。

 

咲「でもいいじゃない…… 別に」

男「おれにはまだ分からない」

咲「難しい話はやめて」

男「平常なんだ。平常すぎる。何もかも変わってしまっているはずなのに」

咲「難しい話はやめて、って」

 

壁。それは単なる白い平面としか映らない。

咲が男の耳たぶを弄んでいる。

 

咲「何を見ているの」

男「時間…… 空白の時間。何一つ起こらなかったように思える時間」

咲「そのうちまた夜が来る」

男「時間なんて気にしないよ」

咲「夏の夜」

男「昼間に眠るようにしよう」

咲「何故?」

男「それがおれたちのためになるから」

咲「何故」

男「分からない…… だがいずれ自ずとそうなることだろう」

咲「……」

 

 

●    街の点景(同)

日中なのにただの一つも人影がない。幾つもの街路、公園、駅前広場、橋。幾つもの無人の光景。

そして一本の緑の木。

 

 

●    一室(同)

咲「あの木は死なないわ」

 

 

                                                      (澁澤政裕)

初稿。

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